汎ヨーロッパピクニック計画20周年イベント 日本庭園=石庭 開園式

2009年8月18日19日

リヒアルト・クーデン・ホーフ・カレルギー記念石庭(日本庭園)の開園式に先立って三原剛さんの指揮で「荒城の月」が歌われた。
以下は作庭の企画、進行(デザイン、現場監督)に当たったミュンヘン在住のシュミット村木真寿美さんのメモより抜粋した。
この庭は、20年前に、東独の人たちが、パンヨーロッパ・ピクニックをした場所、ハンガリーの国境警察が最初に鉄のカーテンを切った国境のあるショプロン市に、「リヒアルト・クーデンホーフ・カレルギー記念石庭」として作庭されるものです。
資金の中心は、このリヒアルトが日本人の母と暮らしたボヘミアの城の修復活動に充てるためドイツの「ロンスペルグ城再建推進協会」が集めた寄付です。
1990年創立のこの組織は三カ国のボランティア会員からなり、資金は一般の方から寄せられる寄付です。
実際は、100%日本からの寄付で作庭されました。
作庭の企画進行担当は、ドイツ・ミュンヘン在住のベットヒャー(シュミット)村木真寿美。ディザインにも参加、現場監督もしました。

工事は2009年7月5日から19日までに、緻密な計画に従って、行なわれました。
中部地方から5人、関東から4人の造園専門家が参加しました。その中に含まれる設計者は、2007年の愛知万博の日本庭園を作った庭園作家野村勘治氏、は東京農大の造園学科を卒業して重森三玲に師事、現在は日本屈指の庭園作家です。
作庭の場所はショプロン市駅の近くの「友好公園」の中で、およそ直径10メートルの円形の石庭。
現場から100キロ半径以内には石庭に使用できる石はなく、ウィーンの森の中にあるギースフーブル採石場から運搬しました。この石は、2008年に完成したオーストリア・メードリングの「光子・クーデンホーフ=カレルギー記念石庭」にも使ったものです。50トンの石を60キロ先から運搬する事が今回の工事に当たって最も困難なことでした。
庭はほぼ円形で、ウラルアルタイ山脈とアルプスとカルパチア山脈トランシルヴァニア山脈などの間を、ハンガリー人、ローマ人、ゲルマンやスラヴ人が螺旋をつくり最後に中心の円(平和、調和、理想)に到達する形を、石庭スタイルで造形しました。ウラルアルタイ山脈から、東に行くアジア(日本人も含む)系の民族も暗示しました。