「上田城」「海野宿」

2010年3月13日
戸倉温泉を後にして向かったのは上田城跡。
上田城は1583年真田昌幸によって築城された。二度に亘って徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦の舞台となった城。
特に1600年関が原合戦の前、徳川秀忠率いる東軍38,000人をわずか2000人で撃退したのは印象深い。
現在上田城跡は市民公園として開放されており、お花見の名所。


山本鼎記念館 山本鼎は1882年愛知県生まれ。油彩、水彩に作品を残すと共に「自由画教育運動」「農民美術教育運動」「創作版画」に業績を残した。
自由画教育運動と農民美術運動は、1916年(大正5年)フランスからの留学の帰途、ロシアで見た児童画と農民工芸に注目、さらにトルストイが始めた農民学校の話に感激して、日本においても実行しようと始めたものであった。旧来の手本を模写させるだけの美術教育を批判、子供に自由に描かせる必要性を説いた自由画運動と、農閑期に工芸品を作り、副収入を得ると同時に、美術的な仕事を通して、農民の文化と思想を高めようとする農民美術の運動によって、鼎は大正デモクラシーの先駆者の一人として位置づけられている。(Wikipedia)

海野宿 重要伝統的建造物群保存地区、日本の道百選選定地区。
1625年北国街道の宿駅として開設された。延長650Mの宿場には、かつて旅籠が23軒、伝馬屋敷が60軒あって宿場は繁栄した。
現在は道中央に用水路がありきれいな水が流れ、柳並木や街路灯が趣きを呈している。
道の両側の格子戸の家並みは宿場時代の建物とと明治時代以降の建物がよく調和して残されている。
この宿場の見どころはーーー卯建、海野格子と出桁造り、気抜き、白鳥神社、媒地蔵尊である。(案内パンフレットから)
昼食の手打ちそばを食べた福嶋屋は昔の旅籠の一軒。随所に街道時代の面影が残されている。




N夫妻は16:00頃長野駅から特急しなので名古屋へ。我々は路線バスで妹の嫁ぎ先長野市山田中地区へ。