第70回美術文化協会展ー日本滞在記録

2010年3月26日 
東京都美術館で4月4日まで開催中の第70回美術文化協会展を鑑賞した。この日は初日とあって多くの友人/知人(敬称略)と出会えた。
美術文化協会は1939年5月「正しい美術文化の在り方を構想し具現すること」を目的にシュルレアリズムの旗印を掲げて結成された。創立会員は福沢一郎ら独立美術協会、二科会などの前衛作家41人。以後会を重ねて本年は70年の記念展だった。
<見崎泰中>は筆者とほぼ同年齢、彫刻家。浜松市在住。彼の彫刻、レリーフ浜松市及び近辺の公園、学校、公共施設に多く残されている。
筆者の現役時代に担当した「木喰展」で監修をお願いして以来のお付き合い。中日新聞主催の「彫刻村」「どんぐり広場」などのイベントでは企画、運営者として参画。今回の作品は=一葉「補陀洛ノ舟」10・3D=

<石川裕>
愛知県出身。彼が大学生時代だった頃以来、30年ぶりの再会。作品は専ら木彫である。
1971年静岡県天竜市で産声を上げた彫刻村は以後岐阜県白鳥町、郡上八幡市に会場を移しながらも38年間継続している。彼はその彫刻村の村長として毎年多くの仲間と共に野外の彫刻制作に関わっている。作品は「木録KIROKU」

<五島秀明>
後述の岡田がはくのアシスタントとして、児童画教室の講師、児童画コンクールの審査員をよくお願いした。筆者若かりし頃のマージャン仲間。温厚な性格は多くの人に評判だった。

<斉木章代>
会場で「名古屋の中日新聞の小松さんではありませんか」と声を掛けてくれたのが斉木さん。後述の岡田画伯が主宰していた名古屋・今池「パトリシアン」=美術専門学校、大学受験生のための画塾=に時々顔を出していた筆者にお茶をよく出してくれたそうだ。この日は二人のお嬢さんも会場に訪れていた。

岡田徹
2007年12月93歳で死去。美術文化協会の創立メンバー。第2次世界大戦中は画風が軍部の意に沿わず弾圧された歴史の持ち主。筆者が現役時代担当したイベントでは数多くのアドバイス、協力を頂いた、いわば恩人。「シュールレアリズム」冠する知識の一端は彼の教える所大であった。今回70年の記念展に代表作18点が展示されている。「春夏秋冬図」4点は現役時代よく観させてもらった。カラスが主役の幻想的な作品だ。
プライベートなお付き合いはマージャン。貧乏サラリーマンのよきスポンサーだった。




<猪飼重明>
1966年6月名古屋。名鉄百貨店で開いた「木喰彫刻展」の監修を前述の見崎さんと共にお願いした。画伯は木喰に出会ってからは題材を全て木喰仏に絞った。したがって残された作品はほとんどが木喰仏。作品の多くは木喰の生まれた山梨県下部町丸畑(現在は町村合併で名前が変わっている?)の木喰資料館に残されている。