ヨーロッパコンサート〜洞窟コンサート B市N.Hさんのレポート

2009年8月18日19日
ベルリンの壁が崩壊した1989年、私は中学生でした。日本から出たこともなく英語もろくに話せませんでしたが、そんな中学生でも学校で歴史を学び「ベルリンの壁崩壊」がどれだけ大きな出来事だったのか知っていたはずです。テレビで流れていた壁を壊す人々の映像は衝撃的で、今でも覚えています。ところが、その詳しい経緯はと聞かれると恥ずかしながらきちんと説明することができず、今回このイベントに参加するにあたって改めて勉強しなおさなければいけませんでした。「汎ヨーロッパピクニック事件」においてはその存在すら記憶になく、私は歴史の授業でいったい何を勉強していたのだろうと情けなくなるほどです。そんな私が、このイベントに参加させていただいたことで、この事件をとても身近に感じられるようになりました。
5年ごとに行われているという汎ヨーロッパピクニックの記念行事。オリンピックより貴重かもしれないのに、運良くこの時期にハンガリーにいて、たまたま参加する機会を与えられて私はとてもラッキーでした。
私たちが滞在したショプロンは、オーストリアとの国境近くにある小さな町です。
ブダペストの東駅からインターシティーの直通に乗れば2時間半。でも、多くは途中の町ジュールで乗り換えなければいけません。決して近いとはいえず、ちょっとハンガリーを訪れた観光客が立ち寄るのは難しいかもしれません。それでも、古い建物が多く残る旧市街は美しく、ワインの美味しいところですから時間があればぜひ訪れてほしい町ではあります。



ピクニック会場はそこからさらにバスで40分ほどのフェルトゥーラーコシュというところにあります。現在は公園として整備され、世界遺産にも登録されており記念のモニュメントなどが設置されていますが、そんな歴史的な出来事があったとは思えないほど静かな草原とその先に森が広がっていました。
私にとって、「ベルリンの壁崩壊」は教科書の中の出来事でしかありませんでした。だから、その時代東と西に分断され家族とも自由に会うことができなかった人々の気持ちがどのようなものであったか、私には想像もつきませんでした。でも、今回そのような場所に実際行って何もない広場に立ちながら、もし私がその時の東ドイツの人だったらどんな気持ちだっただろうか考えてみました。ツアーの人込みから少し離れ、ゆっくりじっくり景色を見ながら想像すると、不思議な感動が込み上がってきます。うまく説明はできませんが、今まで教科書だけの出来事だったものが急に現実味を帯び、当時亡命を試みた人々の必死さやそれを支援した人々の思いが伝わってくるようでした。それが本当に正しいかどうか知ることはできませんが、その時代その場にいなかった人が歴史的出来事に思いを寄せることで、その出来事が風化していくのを防ぐことはできるのではないでしょうか。歴史的なものを残す必要性というのはここにあるのだと思います。そんな思いを抱きながら、1時間ほどのハイキングを楽しみました。当日はいい天気で日差しもかなり強かったのですが、森の中のハイキングは日差しが木々に遮られ、とても気持ち良かったです。


ハイキングで「汎ヨーロッパピクニック事件」に思いを馳せた後は、すこし歴史を遡りハンガリーの名門貴族エステルハージ家の宮殿へ。こちらはピクニック公園の静けさとはうってかわってとても華やかで立派な外観でした。正門には見事な鉄細工が施されており、思わずため息が漏れるほどです。ところが、中はどれほど豪華なのだろうとわくわくしながら進んでいくと、予想に反して宮殿内は荒れた感じが残っていました。第二次世界大戦ソ連軍が宮殿内のものをすべて持ち去り荒らしていった、ということでした。現在修復を進めていて、いくつかの部屋は当時の美しさを取り戻していましたが、ハンガリーの苦難の歴史を改めて感じてしまいました。

洞窟劇場入り口

今回のイベントにはたくさんの日本人が日本から参加していましたが、その一番の目的は、ベートーベン第九の合唱です。もともと「汎ヨーロッパピクニック事件」に日本人は全く関わっていないのになぜ、と不思議に思っていました。洞窟コンサート ベートーヴェン交響曲九番「合唱」演奏会は日本人の思い入れがありました。
第九は崩れたベルリンの壁の前でドイツの人々が合唱した歓喜の曲。この曲をショプロンで演奏しようと発案したのが守山さん、それを受けてハンガリーサイドで糸見偲さんが実現に向けて大きな役割を果たしたそうです。この時参加者から寄せられた寄付を基にコンサート基金が立ち上げられ、5年ごとに記念行事が行われているのです。毎回イベントのときに第九のコンサートを行い、日本からたくさんの方が歌いに来ている、ということでした。とても素敵なお話だと思いました。始まりはいろいろな思いがあったと思いますが、それを今まで続けてこられたことに大きな意味があると思います。今回、ハンガリーの舞台で本当に活き活きと第九を歌っている日本人を見て、少なくともこの人たちにとっては歴史的な事件もハンガリーの小さな町もとても身近なものになっていると感じました。このような草の根の地道な活動が、これからも続けられていくことを願わずにはいられません。