ウルバリ夫人 突然の死

2009年11月21日
11日、友人のウルバリ氏からメールが届いた。「最愛の妻が昨日、突然旅たった。大変なショックです。葬儀の日取りは追って知らせます」
ウルバリ氏は筆者が現役の頃、中日カップなど体操競技国際大会へ世界体操連盟の技術委員として、日本を何度も訪れたことのある親日家。夫人のボリさんはかつての新体操のハンガリーチャンピオン。亡くなるまでコーチとして若い体操選手の指導に当たっていた。全く病気とは無縁だっただけに信じがたい知らせだった。
その後ウルバリ氏に会う機会があって死因その他詳しいことを聞くことができた。
11月10日、午前9時頃ボリさんはシャワーを使ったが、すぐに体調の不調を訴え倒れた。救急車を呼んだが、とき既に遅しだった。救急車が到着した時にはすでに瞳孔が開いていて、1時間の生命回復作業でも回復しなかった。行政解剖の結果、病名は肺塞栓症だった。足の静脈瘤にできた血栓が肺に詰まり、呼吸困難から心臓が停止した。彼女が残した最後の言葉は「私はもう駄目、子供たちを守ってあげて」だった。
ハンガリーの葬儀は火葬だが遺族が火葬に立ち会うことはなく、遺体は葬儀会社が引き取って灰にして葬儀会場に飾りつける。ブダペストでは火葬場が少ないので、死亡から葬儀までは二週間以上が普通で、早く行いたければ特別料金が必要。日本のように通夜は行わない。