モスタルからコトル/モンテネグロへ

2014年4月7日
2日半のボスニア・ヘルツゴビナ観光を終わり、次の目的地モンテネグロへ向かう。ボスニア・ヘルツゴビナは戦争の爪あとが随所に残されており、戦争のない毎日がいかに大切か考えさせらた。幼少時代に過ごした群馬県太田市で昭和20年、アメリカ軍の空襲を避けて逃げ回ったこと。隣町の防空壕焼夷弾の直撃団を受けて黒焦げになった死体を見たこと。3月10日の東京大空襲で東京の空が真っ赤に燃えていたことなどが思い出される。
▽7日 9:00頃 ペンションローザを出発。国道17号線を南下。Bunaから近道で国道6号線を南西進。途中大きな町、Stolac,Ljuanjeを通りTrebinje
の町へ。岩山と潅木の殺風景な景色のドライブは退屈そのもの。




ドライブ中見かけた花
Trebinjeは交通の要所。モンテネグロ方面とクロアチア方面への分岐点。一寸した大きな町でホテル、レストラン、スーパーマーケットもある。Trebinjeの人口は約16,000人。クロアチアのドブロヴニクまで30Km。1991、2年のクロアチア独立戦争のドブロヴニク包囲戦の作戦の司令部、砲兵隊の駐留地であった。Trebinjeから15分、12:30頃モンテネグロの国境着。Tax3ユーロ(入国税?道路税?)徴収。国境からヘルツェグ・ノビまでは下り坂。

アドリア海クロアチアからモンテネグロに入った所で大きく内陸部に切れ込んでいる。ヨーロッパ最南部のフィヨルドでボカ・コトルスカと呼ばれている。ヘルツェグ・ノビはその入り口。この日の目的地はボカ・コトルスカの沿岸をドライブすること1時間30分のコトルへ。



コトルは複雑な海岸と険しい山に囲まれた堅固な城塞都市。1979年世界遺産に指定。クロアチアのドブロヴニクに近いこともあって最近は日本人観光客に人気の都市。日本語によるガイドマップも用意されている。旧市街は背後の山に沿って強固な城砦に囲まれ、15箇所の要塞、堡塁、防御陣地でで防御されている。市街への門は3箇所。狭い石畳の旧市街には多くの教会、修道院、宮殿が建てられている。現在では古い建物を利用したホテル、レストラン、みやげ物店も数多くある。








この夜の宿泊はボカ・コトルスカに面したホテルガリア。コトルに面して海、旧市街、背後の山が織り成す眺めは素晴らしい。夕食に食べたツナスーテーキ、カラマリ盛り合わせは申し分なし。初めて味あうモンテネグロ産白ワインがその味を一層引き立ててくれた。